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JUBBILLY13'によるgdgdブログ、第二段。

芸術は爆発であり、醜悪なもの。ー「東京展」@豊橋美術博物館を見てー

先月の27日、日曜日に日帰りで愛知 豊橋市 美術博物館で開催されていた「岡本太郎と中村正義『東京展』」に行って参りました。

自分が芸術の分野に関わることになってから、孤独に感じたり自信をなくしたり方向性を見失ったときにいつも励ましてくれるのは岡本太郎の言葉でした。
失恋で自殺未遂したり立ち直れないときも、大阪万博公園の太陽の塔を見に行ったり名言を聞いたりして感極まったものです。
そういう縁もあって、遠出になってでも見に行きたい展覧会でした。

さらに日本の芸術界にメスをいれた前衛的な作家たちが活躍する、その彼らが生きたまさに1970年代のアートにもっと近付きたくて、という理由もあります。

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一つだけ力強く言えるのは、私自身が人間関係や仕事もそうですが、自分の思考や性格、生き方について悩んでいる今、まさに力をくれる展覧会でもありました。
今回主役の岡本太郎さんも中村正義さんも、画風は相異なるものがありますが伝えたいことに含まれるその信念は、どの他の作家よりも強いものだと思います。
西洋の文化を取り入れたはいいが、そのやり方が閉鎖的であった日本の芸術界に反逆児として先頭を切ったのには間違いないのです。
岡本太郎さんは世間的にも有名な日本を代表する作家なのでご存知の人も多いと思いますが、この正義氏は太郎氏よりも反骨精神が強く批判的な言い回しやあまりにも露骨すぎる表現が多いのかあまり評価が公にはなっていないようですね。
はじめは貧しくも独学で絵を描き、日展の連中にも気に入られるくらいの実力もあったのに、やりたいことはそれ以上だったというのがけばけばしい原色を使い始める作品以降に感じられます。
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特に人物の顔を原色で多く描いていた正義氏ですが、今展覧会ではこの「男女」という作品がすごく好きになりました。
一見、原色の部分のマチエールが分厚いため、油絵か?と見間違いますが、日本画の基本的な技法である紙本着色というやり方で描いているのです。
一般的には透明水彩日本画では膠を使用するが)のような淡い仕上がりになるこの表現法を、このような重厚で不快(個人的には褒め言葉です)な画風に敢えて転換させているその行為自体が、保守的であった日本芸術の画壇に物議を醸し出すという暗示として用いているように思います。
より自由で、型破りな表現を求めて。消滅しかかっていた日本の芸術の救世主になったと言っても過言ではないと思います。

(引用:www.art.tokushima-ec.ed.jp


二人の言う、「創造することは醜悪である」や「芸術はきれいであってはいけない。うまくあってはいけない。心地よくあってはいけない。それが根本原則だ。」という根本的な考え方は共通しているし、この言葉で救われた芸術家は数知れないと思います。

この言葉を聞くといつも自分の芸大時代を思い出します。
「伝統的な芸大でお前は何をやっているんだ?」「それはただの漫画やイラストじゃないか」「まず絵が下手」と味方である人物がマイノリティだった時代です。
確かに今になって、下積みや基礎はもっとやっておくべきだった、と反省はしています。しかしささやかではありますが、その精神の自由奔放さや好きだという情熱は周囲に伝わった、と後から聞かされて安心はしています。
自分は自分なりに表現していてよかったんだな、とせめてもの罪滅ぼしのようには今では感じています。

いつの時代も新しい芸術や思考は大衆には受け入れられにくいものです、日本は特にその風潮が強い気がします。
認められないまま死んで行く作家も多いのです。
様々な展覧会をのぞいたり、さらに美術史に触れることによって、芸術とはもう個人の思想•宗教•生き方なのだと思えるほどにはなってきました。
売れることを望んでいたら好きなことができない、だから質が落ちる、という言葉も太郎さんの考えにあった気がします。

いずれにせよ、二人が今後、私の生き方についての恩師になったということは言うまでもありません。

今は中村正義氏の「創造は醜なり」という書籍を少しずつ読んで、孤独や不信感を抱いている自分を励ますようにしています。www.amazon.co.jp


この展覧会は他にも当時の反戦的風刺画•風俗画や、秘宝館のようなエロティックの解放(生きることと性は永遠に引き離せないテーマ)、フォークロア⇆近未来への展開、メルヘンへの逃避、ドラッグのサイケデリックなビジュアル、ポップアートへの回答などを感じられるようなまさに70年代を代表する作品ばかりで、興奮が収まりませんでした。

特に個人的に響いたのが、実験映画の鬼才 であり、「つぶれかかった右目のために」などの短編映像作品で有名な松本俊夫の「色即是空」です。
Toshio Matsumoto Everything visible is empty 1975 ...

所謂、わかりやすく言えば『ポリゴンショック』です(笑)私達の世代でわかる言葉に置き換えるならば。
この日超寝不足で頭痛がひどい中観覧したのですがとんでもないことになります。とっても快感になり何もかもぶっ飛びます。リンク先のようつべで見れますが、これを当日は大画面で見たのでたまりません。薬なんかやってなくてもハイになります。
神々との交信を促すかのようなインド音楽とサブリミナルで映し出されて行く曼荼羅と色即是空の文字、そしてフラッシュの連続。
ああ、こうゆう時代だったから自由なんだ、今は規制がうるさいんだって頭痛がおさまってからしみじみ思いました。

かわいいから、きれいだから、売れるから、作るのか?
誰かが認めるから、作るのか?
最近はこの考えに疑問に思えるくらいには自分が丸くなってきたように思います。


人それぞれの中にある正義、のような宗教のような。

いずれもがそれぞれにとっては幻だし、他人には関係ないことでもあります。

結局芸術ってそういう思考のことなのではないでしょうか?

なので中学校で点数化する今の職業に疑問を抱いて辛く感じることもあります。

それでもそんな自由で間違いのない生き方につながる糧になるような、美術の指導を自分の課題としています。